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東京地方裁判所 平成9年(ワ)12721号 判決

原告

甲野忠一

原告

甲野安子

右両名訴訟代理人弁護士

宮田眞

鈴木和憲

伯母治之

被告

学校法人東京醫科大学

右代表者理事

内田安信

右訴訟代理人弁護士

加藤済仁

松本みどり

岡田隆志

主文

一  被告は、原告甲野忠一に対し、金三八九二万一四六三円及びこれに対する平成六年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告甲野安子に対し、金二九九三万一四六三円及びこれに対する平成六年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用のうち、原告らが平成一一年九月一三日付け準備書面による請求の趣旨拡張の際に追納した手数料は原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

五  この判決は第一、第二及び第四項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告甲野忠一に対し、金四九一九万一九二四円及びこれに対する平成六年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告甲野安子に対し、金三九八〇万一九二五円及びこれに対する平成六年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  仮執行宣言

第二  事案の概要

一  本件は、原告らの二男甲野太郎(昭和四六年三月一日生)が、慢性腎不全の治療のため、被告の附属施設である東京医科大学八王子医療センター(以下「被告医療センター」という。)で、原告忠一から摘出した腎臓を移植する生体腎移植手術(以下「本件移植手術」という。)を受けたところ、被告の術後管理及び事前準備に過失があったために死亡したとして、原告らが、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づき損害(原告らがその相続分に従って相続した太郎の被った損害及び臓器提供者である原告忠一固有の慰謝料)の賠償を請求した事案である。

二  争点〈省略〉

第三  当裁判所の判断

一  証拠(甲一、二の1ないし3、三の2の15ないし22、五、七ないし九、乙一、二の1、2、三、四の1、2、五ないし一三、一五、一六、証人乙野次郎の証言、原告甲野忠一本人尋問の結果及び鑑定の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  当事者等

(一) 太郎は、昭和六二年に調理師の資格を取得し、昭和六三年に東京都文京区本駒込の有限会社駒寿司へ入社し、寿司職人として勤務したが、腎臓病のため、平成三年一二月に一旦同社を退職し、再び平成五年九月ころから平成六年五月ころまでの間、透析治療の傍らパートの寿司職人として勤務するようになった。同人の給与は、パートとしての勤務であり、しかも寿司職人としての修行期間中であったことから、一人前の職人よりは低く、平成五年には月額一四万円、平成六年には月額一六万円であった。

(二) 太郎は、平成三年一二月ころ、杏林大学附属病院で慢性腎不全と診断され、同病院に約二か月間入院して透析治療を受け、退院後も武蔵野クリニックで週二回の割合で透析治療を継続して受けていたが、平成四年八月から約一か月間、再度杏林大学附属病院に入院し、その後は週三回の割合で透析治療を受けるようになった。

太郎と原告忠一は、右再入院の際、杏林大学附属病院の主治医と協議して、今後二、三年程度の間に、太郎の治療のため、原告忠一から摘出した腎臓を太郎に移植する生体腎移植手術を受けることを決意した。

このため、太郎と原告忠一は、右主治医から、被告医療センターの紹介を受け、平成五年一二月一〇日、同センターで移植コーディネーターである櫻井悦夫から腎移植手術についての説明を受けたところ、同人は、移植により透析の必要がなくなり通常人と同じ生活ができると強調し、免疫抑制剤による副作用や手術失敗の可能性も指摘したものの、この点はそれほど強調しなかったことから、太郎と原告忠一は、先の予定を変更し、早期に被告において生体腎移植手術を受けることとし、平成六年六月二一日(以下平成六年については月日のみ記載する。)に太郎が、同月二八日に原告忠一がそれぞれ被告医療センターに入院した。

(三) 被告は、医科大学その他の教育施設を設置することを目的とする学校法人であり、附属施設として被告医療センターを設置し経営している。

被告医療センターは、昭和五五年から腎移植を行っており、本件移植手術は二六三症例目である。

乙野は、平成五年七月から被告医療センターで医師として勤務し、本件移植手術当時は臓器移植部助手であった。乙野は被告医療センター以外も含めて二〇〇症例以上の腎移植に関与し、そのうち四〇症例を執刀した。

本件移植手術は、血液型がA型の原告忠一(ドナー)から摘出した腎臓を血液型がO型の太郎(レシピエント)へ移植するABO血液型不適合腎移植手術であり、被告医療センターとしても、ABO血液型不適合腎移植手術は初めてであった。また、当時、被告医療センターの集中治療室の床数は六床しかなく、かつMRSA感染のおそれがあったことから、被告は、本件移植手術後の太郎の術後管理を病棟で行うこととした。

2  本件移植手術

(一) 本件移植手術は、前記のとおり、ABO血液型不適合生体腎移植手術であり、レシピエントである太郎の抗A抗体による移植腎に対する拒絶反応を抑えることが必要である。このため、被告医療センターでは、本件移植手術前に、二重瀘過血漿交換、バイオシンソルブによる血液吸着により太郎の抗A抗体価を下げ、免疫抑制剤等を投与した。このため、太郎は低蛋白・低アルブミン血症になったが、二五パーセントアルブミン溶液を投与するなどして、これを是正した。手術前の検査では、太郎の心肺機能は正常で、慢性腎不全以外の合併症はみられなかった。また、原告忠一の腎臓にも異常がみられなかった。

(二) 乙野は、本件移植手術前日の七月一三日、太郎と原告らに対し、本件移植手術の方法と術後、本件移植手術と通常の腎移植の相違(脾臓を摘出すること、遅延型急性拒絶反応や免疫吸着などについて)、集中治療室はMRSA感染のおそれがあることから、感染症予防のため術後管理は病棟で行うこととするが、腎臓移植後の術後管理は病棟で行うのが通常であり、それで問題が生じたこともないことなどを説明して、太郎及び原告安子から手術承諾書を、原告安子から「説明と了解についての覚書」(乙二の1の七三頁及び七四頁)をそれぞれ徴した。乙野は、右覚書の「手術が必要な理由」欄に「生体腎移植を行うことにより血液透析より離脱し、完全な社会復帰をはかります。今回はABO血液型不適合間腎移植ですので、通常の生体腎移植とは異なった合併症がおこることが予想されます。」と記載したにとどまり、移植手術自体が成功したとしても移植した腎臓が十分に機能しない可能性や短期間で機能しなくなる可能性については積極的に説明した形跡はない。もっとも、原告忠一は、その執刀医である斉藤燈から、七月九日及び一二日に、手術後の合併症や全身麻酔に起因する事故及び免疫抑制剤の副作用などの説明を受け、この時点で腎移植手術は、櫻井コーディネーターの説明とは異なり、すべてが成功するものではないことを理解していた。

(三) 本件移植手術の経過

本件移植手術は、七月一四日、乙野を太郎側の執刀医、小崎正巳医師、大鹿医師及び宮本医師をその補助医師として行われた。その経過は次のとおりである。

(1) 同日午前九時に太郎が手術室へ入室し、同日午前九時一五分に麻酔開始、同日午前九時五〇分に執刀開始し、拒絶反応防止のため、同日午前一〇時に開腹して、同日午前一〇時五〇分に脾臓を摘出し、同日午前一一時二五分に閉腹した。

(2) 腎移植のため、同日午前一一時三四分に右側腹部を弓状切開し、同日午後三時五分に移植腎の血管吻合を終了、同日午後三時一三分に血流を再開した。太郎の初尿は同日午後三時三〇分に確認されているが微量であり、その後利尿は認められていない。

乙野らは、太郎に利尿が認められないことから急性尿細管壊死に陥っていると判断して、輸液、輸血、昇圧剤等のほか、利尿剤であるラシックス、マンニトールを投与した。また、太郎は前記のとおり低蛋白血症になりやすい状態であった上、午後四時一五分の血清総蛋白量の値が4.9g/dlと低値であることから、午後二時すぎ(五〇ミリリットル)と午後五時すぎ(一〇〇ミリリットル)の二回にわたり、二五パーセントアルブミン溶液を投与した。

(3) 同日午後五時四八分に閉腹が終了し、太郎は、麻酔覚醒後の同日午後六時四五分に手術室を退室し、同日午後七時に病棟に帰棟した。

3  太郎の術後経過

太郎の術後経過及び乙野ら被告医療センターの担当医等による太郎の術後管理は次のとおりである。

(一) 七月一四日午後七時ころ病棟に帰棟したときの太郎の状態は、体温37.7度、脈拍九六、血圧一七二/九八、呼吸数三二である。太郎の肺の空気の入りはやや弱めであり、乙野は太郎の肺を聴診したがラッセル音は認めていない。

乙野は、同日午後七時三〇分ころ太郎の血液・生化学検査を行わせた。このときの太郎の血清総蛋白値は5.1g/dlである。

同日午後八時ころの太郎の中心静脈圧は9.5cmH2Oである。このころまでの太郎の尿量は一時間当たり三五ミリリットル程度と少なく、血清総蛋白値も低いことから、乙野は、太郎は低アルブミン血症に陥っており、これを改善すれば利尿剤の効果が発揮され尿量が増加すると判断し、太郎に対し利尿剤であるラシックス五アンペアを静脈注射させるとともに、二五パーセントアルブミン溶液の点滴による投与を開始させた。

同日午後九時ころの太郎の血圧は一七六/一一〇である。

同日午後一〇時ころ、太郎は尿意を訴えたが、太郎の尿量は一時間当たり二〇ミリリットル程度と増加していない。乙野は、同日午後一〇時三〇分ころに太郎の血液・生化学検査を行わせたところ、血清総蛋白値は5.5g/dlで若干改善したものの、なお低い値であった。また、同日午後一〇時三八分に太郎の胸部のレントゲン撮影を行ったが、特に異常な所見はみられなかった。

同日午後一一時ころ、太郎は尿意を訴えたが、太郎の尿量は一時間当たり二〇ミリリットル程度と変わっていない。乙野は、同日午後一一時三〇分から太郎に対する新鮮凍結血漿の投与を開始させた。

(二) 翌一五日午前零時ころの太郎の状態は、脈拍八四、血圧一七四/八〇、中心静脈圧11.0cmH2Oであり、手術後はじめて痰が出そうと訴え、これを自己喀出した。乙野は太郎の肺を聴診したがラッセル音は認めていない。

同日午前一時ころの太郎の状態は、体温37.4度、脈拍一〇八、血圧一七二/一〇〇、呼吸数四二であり、太郎は痰を自己喀出し、呼吸苦を訴えたが、肺にラッセル音は認められなかった。

病棟に戻ってからこのころまでに、乙野は、太郎に対し、二五パーセントアルブミン溶液を合計五〇〇ミリリットル、ラシックスを合計一五アンペア、新鮮凍結血漿二単位を投与させたが、太郎の尿量は増加せず、このころの太郎の尿量は一時間当たり五ないし一五ミリリットル程度で推移しており、乙野はこれまでの措置では利尿を得ることは困難であり、明朝には血液透析をするほかないと考えるようになっていた。

同日午前一時一〇分ころ、太郎は頻繁に痰を自己喀出した後、看護婦に対し、「息が苦しいよ。どうにかしてよ。薬ないの?」などと呼吸苦を訴えたが、肺にラッセル音は認められなかった。

同日午前二時ころ、乙野は太郎の胸を打診して鈍い音を感じたため、肺に少し水が貯ったのではないかと疑った。太郎の心拍数は一四〇台であり、頻脈傾向であったことから、乙野は、同日午前二時一〇分ころ、これを抑えるためワソラン五ミリグラムを生理食塩水二〇ミリリットルに薄めて静脈注射するよう指示し、太郎が痛みのため上肢を動かし入眠する様子がないため、二時一三分ころ、鎮静剤であるセレネースを静脈注射するよう指示した。

同日午前二時四〇分ころ、太郎は引き続き頻繁に痰を喀出しており、乙野は、聴診により、左肺底区にやや著名な乾性ラッセル音を認めた。

同日午前二時五〇分ころ、看護婦が痰を吸引しようとしたが、太郎はこれを嫌がり自己喀出した。

同日午前三時ころの太郎の状態は、体温37.5度、脈拍一二〇、呼吸数三六、血圧一九二/九〇で、看護婦が声をかけるとうなずくが、痰のからみが著名であった。乙野は太郎に対しラシックス五アンペアを静脈注射して、医局に戻るため病棟を離れた。

(三) 乙野は、医局に着く前に病棟からの呼び出しにより太郎のもとに戻った。太郎は、痰の絡みが著名で呼吸困難な状態であり、午前三時八分ころ、心拍数は六〇台に低下した。乙野は太郎の痰の吸引を行ったが、同日午前三時一〇分ころ呼吸停止状態に陥った。このころ、太郎の全肺野にびまん性の湿性ラッセル音が認められ、太郎は肺水腫により呼吸停止に陥ったことが明らかであった。

乙野らは、気管内挿管など蘇生術を施行し、同日午前三時三六分ころ、太郎は、心拍数が一四〇台に戻り、同日午前四時には自発呼吸を再開したが、この間に低酸素血症による脳障害に陥った。

乙野らは、同日午前五時一五分ころ、太郎を集中治療室に移転し、救命治療を続けたが、太郎は、半昏睡、深昏睡状態が続き、七月二六日午後三時五五分ころ死亡した。

4  太郎の尿量、血清尿素窒素値、血清クレアチニン値及び血清総蛋白値並びにアルブミン製剤及びラシックスの投与経過

(一) 七月一五日午前三時過ぎまでの太郎の尿量、血清尿素窒素値、血清クレアチニン値

腎臓の機能を示す指標として尿量、血清尿素窒素値、血清クレアチニン値があるところ、七月一五日午前三時過ぎまでの太郎の尿量、血清尿素窒素値、血清クレアチニン値は次のとおりである。

(1) 尿量

本件移植手術後同月一四日午後八時まで 約三五ミリリットル

同日午後八時から同日午後九時まで

約二〇ミリリットル

同日午後九時から同日午後一〇時まで 約二〇ミリリットル

同日午後一〇時から同日午後一一時まで 約二〇ミリリットル

同日午後一一時から翌一五日午前零時まで 約一〇ミリリットル

同日午前零時から同日午前一時

約五ミリリットル

同日午前一時から同日午前二時まで

約一五ミリリットル

同日午前二時から同日午前三時まで

約八ミリリットル

(2) 血清尿素窒素値(基準値は八ないし二一mg/dl)

本件移植手術前の七月一四日午前六時ころ 36.4mg/dl

本件移植手術中の同日午前一〇時一五分ころ 41.6mg/dl

同日午後二時一五分ころ

40.6mg/dl

同日午後四時一五分ころ

40.5mg/dl

本件手術後の同日午後七時三〇分ころ 41.8mg/dl

同日午後一〇時三〇分ころ

44.6mg/dl

(3) 血清クレアチニン値(基準値は0.6ないし1.4mg/dl)

本件移植手術前の七月一四日午前六時ころ 10.6mg/dl

本件移植手術中の同日午前一〇時一五分ころ 10.8mg/dl

同日午後二時一五分ころ

10.6mg/dl

同日午後四時一五分ころ

10.3mg/dl

本件移植手術後の同日午後七時三〇分ころ 10.2mg/dl

同日午後一〇時三〇分ころ

10.4mg/dl

(二) 血清総蛋白値

低タンパク血症を示す指標として血清総蛋白値があり、その基準値は6.4ないし8.0g/dlである。

太郎の血清総蛋白値は、本件移植手術前の七月一四日午前六時ころでは6.0g/dl、本件移植手術中の同日午前一〇時一五分ころでは6.1g/dlと基準値より多少低いが許容範囲であったのに対し、本件手術中の同日午後四時一五分ころでは4.9g/dl、本件手術後の同日午後七時三〇分ころでは5.1g/dl、同日午後一〇時三〇分ころでは5.5g/dlと低い値を示している。

(三) 七月一五日以降の太郎の尿量、血清尿素窒素値、血清クレアチニン値

(1) 尿量

同日午前五時過ぎ以降の尿量は、次のとおりであり、この点に限れば、太郎の腎機能は一六日以降回復していると認めることができる。

同日(午前五時過ぎ以降)

五三ミリリットル

同月一六日 二〇九二ミリリットル

同月一七日 一九五六ミリリットル

同月一八日 二一三七ミリリットル

同月一九日 一八九八ミリリットル

同月二〇日 一四〇〇ミリリットル

同月二一日 一五三五ミリリットル

同月二二日 一三五九ミリリットル

同月二三日 一六四五ミリリットル

同月二四日 一一四六ミリリットル

同月二五日 一三二九ミリリットル

(2) 血清尿素窒素値及び血清クレアチニン値

同月一五日午前三時過ぎ以降、血清尿素窒素値は二七mg/dl台から87.8mg/dlの範囲で、血清クレアチニン値は二mg/dlから11.4mg/dlの範囲で推移している。

(四) アルブミン製剤、ラシックスの投与経過

乙野は、七月一四日午後八時から同日午後九時の間に、太郎に利尿剤であるラシックス五アンペアを投与するとともに、二五パーセントアルブミン溶液の点滴による投与を開始した。このとき投与を開始したアルブミン溶液の量は一〇〇ミリリットルであり、その後二五パーセントアルブミン溶液は、同日午前三時過ぎまでに合計約七五〇ミリリットルを投与され、手術室において投与されたものを加えると、その投与量は九〇〇ミリリットルに達した。また、乙野は、同月一四日午後一〇時ころ、翌一五日午前零時ころ、同日午前三時ころそれぞれラシックス五アンペアを投与した。

なお、乙野の陳述書(乙一〇)中には、同日午前一時ころまでに二五パーセントアルブミン溶液を合計五〇〇ミリリットル、ラシックスを合計一五アンペア、新鮮凍結血漿を二単位投与したが、十分な尿量が得られないことから、血液透析を行うこととし、利尿のための処置は止めることにした旨の記載があり、看護日誌(乙三)にも右アルブミン溶液の投与は五〇〇ミリリットルまでしか記載されておらず、乙野は、当裁判所における証人尋問に至るまで、アルブミン溶液の投与量は五〇〇ミリリットルであるとの認識を有していた。しかし、看護記録中のチャート表(乙四の1、一枚目)にはその後も右アルブミン溶液の投与を継続し七五〇ミリリットルまで投与したことを示す記載があり、看護経過表(乙三、六六頁)及び診療記録中の臨時注射、予想指示伝票(乙二の1、九〇頁)にも七月一四日の本件移植手術後に八〇〇ミリリットル分の右アルブミン溶液を使用したことを示す記載があることからすると、アルブミン溶液の投与量は七五〇ミリリットルであると認めることができ、乙野自身も、証人尋問において自己の誤解を認め、陳述書の記載を右のとおり訂正するに至った。

なお、アルブミンには、一グラム当たり約二〇ミリリットル相当の水分を組織間質から血管内に引き込む血漿増量効果があるから、本件手術時以降に投与されたアルブミン溶液約九〇〇ミリリットルによる血漿増量効果は四〇〇〇ミリリットルを越えることとなる。アルブミンには、強力な血漿増量効果があることから、一般に、循環血液量が正常ないし過当の患者に対して急速に注射すると、循環障害及び肺水腫を起こすおそれがあり、慎重に投与することを要するとされている。

5  太郎の適正体重、本件移植手術前後の水分出納及び体重増加

(一) 適正体重

無尿、乏尿の透析患者は透析により除水しないと水分過多となり溢水状態になることから、個々の患者の適正な体重を設定することが必要であり、これを適正体重という。適正体重は、透析終了時に余分な体液が除去され血液などの細胞外液が是正されたときに、浮腫、胸水、腹水の貯留、肝腫大、心拡大もなく、血圧もほぼ正常で心胸郭比が四〇パーセント台であるときの体重をいう。透析患者の透析間の体重増加は、中一日で三パーセント以内、中二日で五パーセント以内に抑えることが必要であり、これ以上体重が増加すると溢水状態になり、循環血液量の増加、高血圧を呈し、心不全や肺水腫を招くことがある。

(二) 太郎の水分出納及び体重増加

太郎の適正体重は56.2キログラムであり、本件移植手術の前日である七月一三日午後六時四〇分ころの透析終了時の体重は56.4キログラムと適正体重を0.2キログラム超過しているだけであった。

その後、同月一五日午前三時過ぎまでの太郎の水分出納及び体重増加は次のとおりである。

(1) 太郎の水分摂取量

① 本件移植手術前の摂取量

同月一三日の夕食中の水分及び飲水(同月一四日は本件移植手術に備え飲食を禁止されていた。)約六〇〇ミリリットル。

輸液等約一三〇〇ミリリットル。

(二五パーセントアルブミン溶液一〇〇ミリリットル、ソリタT4(デノシン一五〇ミリグラム)二〇〇ミリリットル、ソリタT4(ALG一〇〇〇ミリグラム)二〇〇ミリリットル、ラクテック五〇〇ミリリットル、生理食塩水二〇〇ミリリットル等。)

② 本件移植手術中の摂取量

輸液等約六〇〇〇ミリリットル。

(ソリタT1二四〇〇ミリリットル、五パーセントブドウ糖七〇〇ミリリットル、生理食塩水七〇〇ミリリットル、一〇パーセント食塩水二〇ミリリットル、白血球除去赤血球浮遊液八〇〇ミリリットル、新鮮凍結血漿三二〇ミリリットル、二五パーセントアルブミン溶液一五五〇ミリリットル、プラズマネート・カッター(加熱人血血漿蛋白)七五〇ミリリットル、マンニトール一一〇ミリリットル、ラシックス一八アンペア等。)

③ 本件移植手術後七月一五日午前三時過ぎまでの摂取量

輸液等約二二〇〇ミリリットル

(白血球除去赤血球浮遊液二〇〇ミリリットル、新鮮凍結血漿三二〇ミリリットル、二五パーセントアルブミン溶液七五〇ミリリットル、ソリタT1二四〇ミリリットル、ソリタT4(ALG一〇〇〇ミリグラム)二〇〇ミリリットル、ソリタT1(スパニジン一八〇ミリグラム)二〇〇ミリリットル、ソリタT1(シクロスポリン一二〇ミリグラム)二〇〇ミリリットル、生食水(ガスタ-1A)四〇ミリリットル、生食水(ソルメドロール)四〇ミリリットル、ラシックス5アンペア四〇ミリリットル等。)。

④ 太郎の七月一三日の前記透析終了後同月一五日午前三時過ぎまでの総摂取量は、①ないし③の合計に注射用の薬剤及び体内で発生する代謝水四六七ミリリットル(一日当たり三五〇ミリリットルとして計算。三五〇×三二÷二四)を加えた量であり、控え目にみて一万ミリリットルから一万一〇〇〇ミリリットルを下らない。

(2) 太郎の排泄量

太郎の右透析終了後同月一五日午前三時過ぎまでの排泄量は次のとおりであり、多くとも約五〇〇〇ミリリットルである。

① 尿量、一四三ミリリットル+α。

② 便、約一〇〇ミリリットル。

③ 不感蒸泄及び発汗量、約一二〇〇ないし一六〇〇ミリリットル(一日当たり九〇〇ないし一二〇〇ミリリットルとして計算。(九〇〇ないし一二〇〇)×三二÷二四。)。

④ 出血量、三五五ミリリットル。

⑤ 術中の術創からの蒸泄、組織液の漏出量、四四八ないし八九六ミリリットル(一時間、一キログラム当たり一ないし二ミリリットルとして計算。(一ないし二)×五六×八。)。

⑥ sequestered fluid(手術侵襲などにより血管壁の透過性が亢進し、血漿の漏出が起こり組織間質に移行する水分。)、五六〇ないし八四〇ミリリットル(一キログラム当たり一〇ないし一五ミリリットルとして計算。(一〇ないし一五)×五六。)。

⑦ 術後の胃管からの消化液排泄量、術後ドレイン排泄量、七〇四ミリリットル+α。

(3) (1)及び(2)より、太郎の水分出納は、七月一三日午後六時四〇分ころの透析終了時から同月一五日午前三時過ぎまでに約五〇〇〇ミリリットルないし約六〇〇〇ミリリットル水分が増加し、その分適正体重のときに比べ水分が超過していることになる。また、同日午前六時二〇分ころの透析開始時の体重は63.0キログラムであり、適正体重を六六〇〇ミリグラム超過している。

しかし、乙野は、当裁判所における証人尋問に至るまで、術中及び術後の水分出納は二〇〇〇ミリリットル程度の増加にすぎないと認識しており、呼吸停止に至るまでの間に太郎の体重を測定することもしなかった。

二  太郎の死因

1  太郎は、前記一3のとおり、肺水腫を引き起こし、七月一三日午前三時一〇分ころ呼吸停止に陥り、乙野らの救命治療により蘇生したものの、その間に低酸素血症による脳障害に陥り、その後、半昏睡、深昏睡状態が続き、七月二六日午後三時五五分ころ死亡したものであり、太郎の直接の死因は肺水腫である。

2  肺水腫発生の原因

前記一2ないし5のとおり、本件移植手術において七月一四日午後三時五分ころ移植腎の血管吻合が終了し、同日午三時一三分に血流が再開されているが、その後同日午後三時三〇分に微量の初尿が確認されて以降本件移植手術の終了まで利尿は得られていない。乙野は、太郎が急性尿細管壊死、低蛋白血症に陥っているため利尿が得られないものと判断して、輸液のほかアルブミン製剤等の血液製剤、利尿剤及び昇圧剤等を投与し、太郎が病棟に帰棟した後も、依然太郎の尿量が一時間当たり一五ないし三五ミリリットルと不十分であったことから、更に利尿を得ようとして利尿剤、アルブミン製剤等の投与を継続した。その結果、本件移植手術前の血液透析終了時の状態と比べて、太郎は、水分の摂取量が排泄量を約五〇〇〇ミリリットルないし六〇〇〇ミリリットル超過する溢水状態となった。しかも、この間に二五パーセントアルブミン溶液が合計約九〇〇ミリリットル投与され、約四〇〇〇ミリリットルを越える血漿増量効果が生じている。

これらの事実関係及び鑑定の結果によると、太郎は、輸液や血液製剤等の過剰投与による溢水状態に加え、アルブミン溶液による血漿増量効果によって、血中膠質浸透圧が急上昇して、組織間質に移動していた水分が血管内に戻り、循環血液量の急激な増加を招き、その結果、一五日午前三時過ぎに肺水腫が惹起されたものと推認することができる。

3  これに対し、被告は、太郎に生じた肺水腫は緩慢な経過で生じたものではなく、午前三時過ぎに急激に発症したものであって、その原因は不明である旨主張し、乙野の供述及び陳述書(乙一〇)中の記載には、太郎の急性肺水腫は、血管透過性亢進によるものでARDS(成人又は急性呼吸窮迫症候群)の一種であり、ABO血液型不適合腎移植に関連した何らかの免疫反応が炎症を惹起し、これに低蛋白症が加わって発症したとも考えられ、太郎が肺水腫の症状を引き起こした原因は不明である旨の右主張に沿う部分がある。ARDSは病態を指す用語であって、右乙野の供述及び陳述書の記載は、要するところ、術後急性肺水腫ないしARDS発症の原因は免疫反応が炎症を惹起しこれに低蛋白症が加わって発生したとも考えられるが不明であるというものである。

しかしながら、右各証拠は、いずれも前記のとおり、輸液過多の程度が二〇〇〇ミリリットル程度であり、アルブミン溶液の投与量が実際より少ないものであったとの認識を前提としており、しかも、アルブミンの血漿増量効果についての考察を欠いている点において、信用性に疑問がある。また、太郎は、移植時二三歳と若く、透析歴も二年と短く、術前の心肺機能は正常で慢性腎不全以外合併症を持っていなかったのであり、免疫反応により炎症が惹起され、これが肺水腫発生の要因となったことを窺わせるに足りる証拠もない。これらのことからすると、太郎の肺水腫については、輸液等の過多及びアルブミンの血漿増量効果による循環血液量の急激な増加によって生じたものとみるのがより素直な見方であり、乙野の右供述及び陳情書中の記載は前記推認を左右するものではない。

三  術後管理の過失の有無

1  証拠(甲二号証の三及び鑑定人の鑑定結果)によれば、一般に、腎移植の術後、レシピエントは浮腫傾向を示すことが多く、その術後管理に当たっては呼吸管理及び体液管理を慎重に行うことが必要であること、生体腎移植の場合、ドナーから摘出された腎臓は直ちにレシピエントに移植され、阻血時間(ドナーの腎臓が血液遮断されてからレシピエントに移植され血流再開されるまでの時間)が短いため、血流再開直後より移植腎が機能し利尿が得られることが多く、この場合、脱水傾向が見られるときには輸液流を多くして十分な尿量を確保し、溢水状態のときは輸液を抑え利尿剤を投与して尿量を多くして、体液管理に努めることが必要であること、これに対し、即時機能が得られない場合には、尿量は不十分であるにもかかわらず、手術中には即時機能が得られるように努め、また即時機能が得られることを前提にかなりの輸液や血液製剤等が投与されているため、レシピエントは溢水気味になることが多く、他方、術直後の血液透析は術創に血腫などを作りやすいので緊急を要するとき以外術後一日待ってから行うのが原則であることから、レシピエントが脱水状態でない限り、術後の輸液や血液製剤の投与は制限し、最低の維持輸液のみとし、慎重な呼吸管理と体液管理をすることが必要であることが認められる。

2  前記一2ないし5のとおり、太郎に移植された腎臓の血流が再開された後も、利尿はほとんど認められず、本件移植手術後も太郎の尿量は一時間当たり一五ないし三五ミリリットル程度と不十分であり、移植腎の即時機能は得られていない。よって、太郎の術後管理に当たる被告医療センターの担当医としては、尿量が不十分であることを前提として、術中、術後の輸液、血液製剤等の投与量を考慮して、その投与を制限し、慎重な体液管理をすべき注意義務を負っていたというべきである。

そして、太郎の術後の経過は、前記一3のとおりであり、血圧が同月一四日午後七時ころ一七二/九八、翌一五日午前零時ころ一七四/八〇、同日午前一時ころ一七二/一〇〇、同日午前三時ころ一九二/九〇と上昇し、脈拍が同月一四日午後七時ころ九六、翌一五日午前零時ころ八四、同日午前一時ころ一〇八、同日午前二時ころ一四〇台、同日午前三時ころ一二〇と午前二時ころには頻脈となり打診により肺に鈍い音を感じ、また同日午前一時ころから呼吸苦を訴えるようになり、頻繁に痰を喀出している。右術後経過に鑑定人の鑑定結果を総合すると、透析患者を日常的に扱っている医師であれば、血圧の上昇、頻脈を呈し、呼吸苦を訴え、頻繁に喀痰を排出するなどの右太郎の症状から、同日午前二時ころには肺水腫発症の可能性を念頭におくことができたと認められるところ、乙野は、前記一1(三)のとおり腎移植手術の経験が豊富であるから、右のころには肺水腫発症の可能性を念頭におき、太郎の水分バランスを考慮して、血液製剤等の投与を制限することができたというべきであり、かつそのようにすべき注意義務を負っていたというべきである。

3  前記一のとおり、七月一五日午前三時過ぎころには、本件移植手術前後の輸液、血液製剤等の投与等により、太郎の水分バランスは摂取量が排泄量を約五〇〇〇ないし六〇〇〇ミリリットル超過する溢水状態となっていたのであり、術中から同日午前三時ころまでに約九〇〇ミリリットルのアルブミン溶液を投与され、これによる血漿増量効果も加わって、同日午前二時ころの時点において既に太郎は溢水状態にあったと認められる。それにもかかわらず、乙野は、水分バランスは二〇〇〇ミリリットル程度の超過にすぎないとの認識の下に太郎の水分バランスに留意して慎重に体液管理をすることをせず、同日一時ころには、二五パーセントアルブミン溶液等と利尿剤の投与によって利尿を得ることは困難であり、翌朝から血液透析をするほかないと考えるに至っていたにもかかわらず、同溶液の投与中止の指示を出さず、そのまま呼吸停止に至るまで、その投与を継続したのであるから、事実の認識及びそれに対する措置の両面において右注意義務に違反するというべきであり、それらが医師の裁量権の範囲に属することとは到底認められない。

4  被告は、太郎の急性肺水腫は一五日午前三時八分ころ急激に発症したものであり、事前に肺水腫の発症を予測することは不可能であったから、被告及び乙野に過失はない旨主張し、乙野の供述及び陳述書中の記載には、胸部レントゲン写真、動脈血酸素分圧、酸素飽和度の値により、肺水腫が発症した初期の症状を診断することは不可能であって、肺聴診をし湿性ラッセル音の有無により診断する方が重要であり、乙野はこれを実施したものの湿性ラッセル音は認められず、事前に肺水腫の発症を診断することは困難であった旨の右主張に沿う部分がある。また、被告は、太郎に移植した腎臓を適正に機能させようとしてアルブミン等を投与したものであり必要な投与であったのであるから、被告に過失はない旨主張する。

前記一3のとおり、乙野は、本件移植手術後、太郎の全身状態を管理するため、太郎の訴え、バイタルサイン、心電図モニター、中心静脈圧の測定、肺の聴診、尿量、ドレインの排泄量のチェックを定期的にするほか、一四日午後七時三〇分ころ、同日一〇時三〇分ころの二回にわたり血液、生化学検査をし、同日午後一〇時三八分に胸部X線写真を撮影しており、また、証拠(乙七、八、一四の2、一五)によれば急性肺水腫の初期症状を診断することは容易ではないことが認められる。

しかしながら、前記のとおり、太郎に移植された腎臓の即時機能は得られておらず、術後も利尿が得られていない以上、これを前提として、慎重な体液管理をすべきことが要請されるところ、急性肺水腫の初期症状を認識することができたかどうかはともかくとして、一五日午前二時ころには太郎の症状等から肺水腫発症の可能性を念頭におくことができ、これを前提として体液管理に当たることができたことは前記認定のとおりであるから、急性肺水腫の初期症状を診断することが困難であるからといって、肺水腫発生の可能性のあることを想定して体液管理をすべき義務を免れるものではない。また移植した腎臓を適正に機能させるための治療も、患者の症状を前提として、これにより生じ得る合併症を想定し、これを引き起こさないよう留意しつつ行うべきであり、右治療のため必要であることを理由として右義務を免れるものではないというべきであるから、被告の主張はいずれも理由がない。

四  術後管理の過失と結果との因果関係

前記二のとおり、太郎は、本件移植手術前後にかけて輸液及び血液製剤等を過剰に投与されたために七月一五日午前三時過ぎころ肺水腫を引き起こし、これが直接の死因となって死亡したものである。

そして、七月一五日午前二時ころには、肺水腫発症の可能性を念頭におくことができたことは前記認定のとおりであり、前記二で認定した事実に鑑定の結果を総合すると、右の時点で、動脈血の血液ガス分析検査を行い、胸部X線写真を撮り、術中、術後に投与された輸液量や血液製剤量を計算して、それらを制限し、血液透析を行い除水をすれば、肺水腫の発症を未然に防ぐとができた蓋然性が高いことが認められる。

よって、右措置を採らずアルブミン製剤の投与を継続した乙野の過失と太郎の死亡との間には因果関係があると認められる。

これに対し、被告は、生体腎移植手術においては相矛盾する要請を微妙に調整して行うことが必要であり、その調整ができなければ結局救命することはできず、乙野らは利尿を得るためアルブミン等を投与したのであるから、結果的にアルブミン等の過剰投与を原因として太郎が死亡したのであるとしても、過失と結果との間に因果関係はない旨主張する。

しかしながら、前記のとおり、乙野は同日午前一時ころにはアルブミン等の投与によっては利尿を得ることは難しいと考えるに至っているのであるから、それ以降のアルブミン投与は被告の右主張を前提としても正当化し得ないものである上、前記のとおり、移植した腎臓を適正に機能させるための治療も、患者の症状を前提として、これにより生じ得る合併症を想定し、これを引き起こさないよう留意しつつ行うべきものであり、右治療のため必要であることをもって、右因果関係が否定されるものではなく、被告の右主張は理由がない。

五  損害の有無及び損害額

1  太郎の被った損害について

(一) 逸失利益

太郎は、前記一のとおり被告の術後管理における過失により死亡しており、これにより逸失利益相当の損害を被ったことは明らかであり、太郎の逸失利益は、本件移植手術が右過失なくして施行された場合の太郎の稼働能力、就労可能年数を前提として算定すべきである。

(1) 前記認定のとおり、太郎に移植した腎臓は、血流再開後も尿量が不十分であり、即時機能は得られていない。腎臓の機能を示す指標として尿量、血清尿素窒素値、血清クレアチニン値があるところ、太郎の本件移植手術中及び術後の右各数値は、前記一4(一)、(三)のとおりであり、太郎の尿量は、七月一六日以降同月二五日まで一日当たり一三二九ミリリットルないし二一三七ミリリットルであり、この点に限れば、太郎の腎臓は正常に機能していると認められる。他方、太郎の血清尿素窒素値及び血清クレアチニン値は、それぞれ、基準値が八ないし二一mg/dl、0.6ないし1.4mg/dlであるところ、本件移植手術中及び術後にかけて二七mg/dl台から87.8mg/dlの範囲、二mg/dlから11.4mg/dlの範囲で推移しており、正常値をかなり上回っているが、証拠(乙一、二の1、四の1)によると、太郎はこの間毎日ソルメドロール八〇ミリグラム程度の投与を受けていることが認められ、日本薬局方によると、同剤は副腎皮質ステロイドであって蛋白質の代謝を高める作用を有するものであって、これを投与することにより、蛋白質の代謝が高まり、血清尿素窒素及び血清クレアチニンの値が正常値を上回るのはむしろ当然であり、乙野が記載したカルテ(乙第一号証)中にも、メドロールの量が多いので尿素窒素値の上昇が著しいとの記載があることからすると、これらの値は、太郎の腎臓が正常に機能していないことを示すものではなく、むしろ前記の尿量を考え合わせると、同人の腎臓は七月一六日以降正常に機能していた可能性が高いと認めるのが相当である。また、乙第一九号証、第二〇号証の1、同2の1及び2によれば、本件移植手術の際の移植腎の腎生検の結果、採取した六個の糸球体のうち二個が硝子化しており、乙野は移植腎にはIgA腎症が疑われると診断していることが認められるが、これらは確定的な診断とはいい難く、手術前の原告忠一の腎機能に異常がなかったことからすると、右結果から移植腎が早期に機能不全に陥ると認めることはできない。

(2) 日本移植学会の腎移植臨床登録集計報告(乙一七)によれば、昭和三九年から平成六年までの生体腎移植の移植患者の観察期間一年、五年、一〇年、一五年、二〇年、二五年の生存率は、それぞれ93.0パーセント、86.0パーセント、78.7パーセント、72.8パーセント、62.6パーセント、58.5パーセントであり、生着率(患者死亡の場合も非生着とする。)は、それぞれ84.1パーセント、64.5パーセント、47.4パーセント、36.7パーセント、20.7パーセント、15.3パーセントであり(乙一七、表七)、生着率を時期別に見ると、昭和三九年から昭和五〇年までが観察期間一年、五年、一〇年でそれぞれ60.7パーセント、40.2パーセント、30.3パーセント、昭和五一年から昭和五五年までが観察期間一年、五年、一〇年でそれぞれ72.4パーセント、54.1パーセント、41.5パーセント、昭和五六年から昭和六〇年までが観察期間一年、五年、一〇年でそれぞれ86.1パーセント、66.6パーセント、46.2パーセント、昭和六一年から平成六年までが観察期間一年、五年でそれぞれ91.9パーセント、71.5パーセントであり(乙一七、表八)、移植手術の実施時期が後になるに連れて生着率が向上していることが認められる。

(3) また、鑑定の結果によれば、透析患者の平均余命は、いずれの年齢層においても通常人の半分程度であり、稼働能力についても、透析治療を受ける日は稼働能力が通常人の半分程度に制限されることが認められる。

(4) このように、太郎が死亡するまでの間に移植腎の機能は回復していた可能性が高いと認められるものの、統計上、生体腎移植を受けたレシピエントの移植腎の生着率が年月の経過とともに低下していることからすると、太郎の稼働能力及び就労可能年数を考えるに当たって、太郎に移植された腎臓が適正に機能し続けることを前提とすることはできない。そして、透析患者の平均余命が各年齢層において通常人の半分程度であり、稼働能力も制限されることからすると、通常人と同様の稼働能力及び就労可能年数を前提として太郎の逸失利益を算定することはできない。

他方、右のとおり移植腎の機能は回復している可能性が高く、右統計上の数値も、昭和三九年から平成六年のものであり、移植の実施時期が後になるに連れて生着率が向上していることからすると、太郎が直ちに透析患者に戻ることを前提にするなどして逸失利益を算定することもできない。

これらの事情に照らすと、本件は、太郎の逸失利益という損害発生は認められるが、損害の性質上、その額の立証が極めて困難な場合に当たるというべきであり、当裁判所としては、民事訴訟法二四八条に基づき、相当な損害額を認定することとする。

そして、前記一1(一)のとおり、太郎の本件移植手術前の収入は月額一六万円程度であるが、右収入は透析治療継続中のものでありまた寿司職人としての修行期間中であるために低額に抑さえられていたのであってこれを前提とすることはできず、かえって、右のとおり移植腎の機能は回復している可能性が高いこと、本件移植手術時の太郎の年齢は二三歳と若いこと等の諸事情を考慮すると、本件移植手術の術後管理における被告の過失がなければ、移植腎が適正に機能し続ける限り、その後通常人と同程度の収入を得る可能性が高いことから、収入については賃金センサス平成六年第一巻第一表の全年齢男子平均給与額を基礎とする一方、就労可能年数を五五歳とし、右のとおり、移植腎の生着率は手術後年月を経るに連れて低下し、腎移植手術のレシピエントは手術後一定の割合で透析を必要とする状態に戻るところ、透析患者の平均余命は通常人の半分程度であり、稼働能力も制限されるものの、医療水準の向上により移植手術の実施時期が後になるに連れて右生着率が向上していることからすると、太郎に移植された腎臓の予後は前記統計の結果よりも好ましいものとなる可能性が高いことも勘案して、右平均給与額に基づいて算定した金額を、最初の一〇年間は一割減額し、次の一〇年間は三割減額し、その後の期間は五割減額して、逸失利益を算定することする。

よって、太郎の逸失利益は次のとおり三三二六万二九二七円とするのが相当である。

① 三三歳まで 一九三六万二四一四円

五五七万二八〇〇円(右賃金センサスの平均給与額)×0.5(生活費控除率)×7.721(就労可能年数一〇年のライプニッツ係数)×0.9

② 四三歳まで 九二四万七二二五円

五五七万二八〇〇円×0.5×4.741(就労可能年数二〇年のライプニッツ係数−同一〇年のライプニッツ係数)×0.7

③ 五五歳まで 四六五万三二八八円

557万2800円×0.5×3.34(就労可能年数三二年のライプニッツ係数−同二〇年のライプニッツ係数)×0.5

④ ①ないし③の合計 三三二六万二九二七円

(二) 慰謝料

太郎は被告医療センターの担当医である乙野の前記過失により死亡したことにより精神的苦痛を被ったと認められ、右過失の内容及び程度が前記のとおり決して軽いものではないこと、本件移植手術に至る経緯、すなわち、太郎は透析を受けながらも稼働し得る状況にあって、本件移植手術はそれほど緊急性がなく、むしろ現状でもすぐには支障がないのに、積極的に完全な社会復帰を目指して行われたものであって、太郎としては、現状より悪い結果が生ずることは全く予想していなかったと窺われることなど諸般の事情を考慮すると、太郎が一家の支柱というべき立場になく、むしろ両親の世話になっていたことを考慮しても、その精神的苦痛の程度は重大であり、これを金員に換算すると二〇〇〇万円が相当であると認められる。

(三) 葬儀費用

弁論の全趣旨によれば、平成六年当時、葬儀に通常要すべき費用としては一二〇万円を下らなかったと認められ、被告医療センターの担当医である乙野の右過失により、太郎は葬儀費用として一二〇万円の損害を被ったと認められる。

(四) 以上によれば、乙野の過失により太郎の被った損害は合計五四四六万二九二七円であり、乙野は被告医療センターの勤務医であり、乙野の右過失は太郎と被告との診療契約に基づく診療行為上のものであるから、被告は、債務不履行及び不法行為に基づき右損害を賠償する責任を負う。そして、甲第一号証によると、原告忠一及び原告安子は、太郎の唯一の相続人であると認められるから、右損害賠償請求権をそれぞれ二分の一ずつ相続により取得したと認められる。

2  原告忠一固有の損害について

(一) 前記のとおり、被告は、太郎及び原告忠一との間で、原告忠一の腎臓を摘出して太郎に移植する生体腎移植手術を行うとの契約を締結した。

生体腎移植を行う医療機関がドナーから腎臓を摘出するのはレシピエントの治療目的のためであり、ドナーが自己の腎臓が摘出されることをあえて承諾するのも、これを適宜処分するよう医療機関に委ねるためではなく、摘出された腎臓がレシピエントに移植されることによりレシピエントの治療に供することを目的とするからである。医療機関としても、ドナーが右の目的が適切に達成されるとの期待の下に腎臓の摘出に承諾したことは当然認識しているものである。

そうすると、右ドナーの期待も法的保護に値するというべきであり、かつ、摘出された腎臓をレシピエントに移植し、かつこれを適正に機能させるべく努めることは、右医療機関とドナーとの間においても、契約の重要な要素をなすというべきであるから、右医療機関は、ドナーから腎臓を摘出する際はもちろんのこと、摘出した腎臓を適正に機能させるための術後管理に必要な相当期間中もまた、レシピエントに対して適切な医療行為をすべき契約上及び不法行為法上の注意義務をドナーに対しても負っているというべきである。

したがって、右医療機関が、移植手術後、右相当期間内に術後管理における過失によりレシピエントを死亡させた場合、ドナーとの関係においても過失があるというべきであり、債務不履行及び不法行為に基づき、これによりドナーに生じた固有の損害を賠償する責任を負うというべきである。

前記のとおり、被告医療センターの担当医である乙野は、太郎に移植した腎臓が急性腎不全となり即時機能が得られなかったことから、これを適正に機能させようとして術後管理を行っていたところ、過失により太郎を死亡させているのであるから、腎臓を提供した原告忠一との関係でも過失があるというべきであり、これにより生じた原告忠一固有の損害を賠償する責任を負う。

(三) 原告忠一は、太郎の治療に供することを期待して自己の腎臓を摘出されることを承諾したところ、被告医療センターの担当医である乙野の過失により、太郎が死亡し、右腎臓の提供が無に帰したことにより精神的苦痛を被ったと認められる。

原告忠一の右精神的苦痛についての慰謝料額は、右過失の内容及び程度が前記のとおり決して軽いものではないこと、本件移植手術に至る経緯、すなわち、太郎は透析を受けながらも稼働し得る状況にあって、本件移植手術はそれほど緊急性がなく、むしろ現状でもすぐには支障がないのに、積極的に完全な社会復帰を目指して行われたものであって、原告忠一としては、現状より悪い結果が生ずることは全く予想していなかったと窺われること、片方の腎臓喪失は自動車損害賠償法施行令別表の第八級の後遺障害に該当し、交通事故でこの結果が生じた場合には、自賠責保険のみでも八一九万円が支給され、実際上は加害者からより多額の賠償金が支払われることが多いこと、及び原告忠一には本件により少なからざる逸失利益が生じたことが明らかであるのに、これが本訴請求には含まれていないことなど諸般の事情を考慮すると、原告忠一が腎臓摘出につき承諾しているなど被告に有利な事情を考慮しても、金八一九万円が相当であると認められる。

3  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは、その主張のとおり本訴の訴訟追行を委任し、費用及び報酬を支払うことを約したことが認められる。そして、本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らすと、弁護士費用のうち、被告の債務不履行と相当因果関係に立つ損害として賠償を求め得る金額は、原告忠一分として三五〇万円、原告安子分として二七〇万円が相当である。

四  よって、その余の点を判断するまでもなく、原告らの請求は、それぞれ原告忠一につき三八九二万一四六三円の、原告安子につき二九九三万一四六三円の損害賠償及びこれに対する太郎が死亡した日である平成六年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるからその限度で認容し、その余は理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条本文、六五条一項但し書を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・藤山雅行、裁判官・釜井裕子、裁判官・天川博義)

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